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【ヨガ哲学】人間はどのように形作られているのか?幻のヨガの書ヨーガ・ビージャ13節~20節に見る

シヴァに女神が教えを乞う、ヨーガ・ビージャ翻訳 Yoga Bija
ヨガ哲学に興味をお持ちになった稀有なみなさま、当ブログにご訪問頂きありがとうございます。
ご一緒にヨガ哲学を楽しみましょう♪

幻のヨガの書、ヨーガ・ビージャの日本語訳&解説を一般向けに初公開しております。
(こちらから原文を読んでいます↓)

ヨーガの神様であるシヴァ神に女神が問いかけました。
「どうして、純粋な本来の自分(真我・アートマン)が行為と結果の因果関係(カルマ)に覆われた有限の生き物になってしまうのでしょうか?」と、大問題を投げかけます。

いったいヨーガの神様は何と答えたのでしょうか?

The Yoga Bijam

ヨーガ・ビージャ13節~19節 原文&訳

13節
īśvara uvāca |
シヴァは語る

sarvabhāvapadātītaṃ jñānarūpaṃ nirañjanam |
vārivat sphuritaṃ svasmiṁs tatrāhaṅkṛtir utthitā || 13 ||
本来の自己は、あらゆる状態や名称を超越した、純粋意識そのものである。
それは汚れなく静かに広がり、ただ自己の内に波のようにゆらめく。
その波のきらめきから“私は”という自我が生じてくるのだ。

14節
pañcātmakam abhūt piṇḍaṃ dhātubaddhaṃ guṇātmakam |
sukhaduḥkhaiḥ sadā yuktaṃ jīvabhāvanayākulam || 14 ||
人の身体は、五大元素からなる束であり、三グナの力によって維持されている。
それは快楽と苦痛を絶えず受け、そして“これが私だ”という思い込みに翻弄され続けている。

15節
tena jīvābhidhā bhoktā viśuddhe paramātmani |
kāmaḥ krodho bhayaṃ cintā lobho moho mado rujāḥ || 15 ||
純粋な最高自己の上に覆いかぶさって、経験する者として『ジーヴァ』と呼ばれる存在が現れる。
そのジーヴァには、欲望・怒り・恐怖・不安・貪欲・迷妄・傲慢、そして病や苦しみがまとわりついている。

16節
jarā mṛtyuś ca kārpaṇyaṃ śoko nidrā kṣudhā tṛṣā |
dveṣo lajjā sukhaṃ duḥkhaṃ viṣādo harṣa eva ca || 16 ||
人間の生には、老いと死、無力感や悲しみが伴い、
眠りや飢えや渇きに支配され、
憎しみや恥じる心、喜びや苦しみ、落胆や歓喜に翻弄される。
これらすべてが、束縛の網を編み上げているのである。

17節
jāgrat svapnaḥ suṣuptiś ca śaṅkā garvas tathaiva ca |
ebhir doṣair vinirmuktaḥ sa jīvaḥ śiva eva hi || 17 ||
目覚めても、夢を見ても、眠りに沈んでも、
不安や傲慢に囚われている限り、人は欠陥を免れない。
しかしそれらすべてから解き放たれたとき、
個としての生命は、純粋なるシヴァと一つである。

18節
tasmād doṣavināśārtham upāyaṃ kathayāmi te |
jñānaṃ kecid vadanty atra kevalaṃ tan na siddhaye || 18 ||
だからこそ、心の欠陥を滅ぼす道を、あなたに示そう。
知識こそが唯一の方法だと語る者もいるが、知識だけでは真の成就は得られないのだ。

19節
yogahīnaṃ kathaṃ jñānaṃ mokṣadaṃ bhavatīśvari |
yogo ‘pi jñānahīnas tu na kṣamo mokṣakarmaṇi || 19 ||
知識だけでヨーガが伴わなければ、解放にはつながらない。
同じように、ヨーガの実践だけで知識がなければ、解放は達成できないのです。
──実践と智慧、その両輪がそろって初めて、真の道が開かれるのです。

ヨーガ・ビージャ13節~19節 解説

シヴァ神はまず、本当の自分とは何かを教えてくれました。

ヨガでは、本当の自分は今人々が「これが私」と自覚しているものとは全く違うものと考えています。
それは、何者にも汚される事の無い、純粋で最高な自己です。
その名をアートマンと呼びます。

アートマンとは

まず、この先のヨーガ・ビージャを読み進める為には、このアートマンと言う【本当の自分とは何か?】を理解する必要があります。

分かりやすく、空を使って例えてみましょう。

をイメージして下さい。
空を見ると色々見えますね。

  • 雲があります。雲は色々な形になり、空が雲で覆いつくされる時もあれば、ほぼ無くなる時もあります。
  • また雨や雪が降っている時もあります。
  • 飛行機やヘリコプターが飛んでいる時も、塵や黄砂が舞ったり、風が流れたり。
  • 太陽や月や星が見えたり、何も見えなかったり、明るかったり暗かったりしますね。

では、空って何でしょうか?

  • 空は雲ですか?
  • 空は雨や雪ですか?
  • それとも、飛行機やヘリコプター黄砂や風が空ですか?
  • 太陽や月や星、光と空はイコールなのでしょうか?

違いますよね。

空はそのどれとも同じではありません。
その全ては、空の中に現れては消えているただの現象です。
つまり、空自身ではないのです。

空は、そのどれにも影響される事がなく、ただそこに存在し続けているものです。

そして、実は私たち人間も、空と全く同じなのです。
日々、頭の中には色々な考えが浮かび、心には様々な感情が沸き起こります。

でも、その一つ一つが私自身ではありません。

  • 怒りイコールあなたですか?
  • 悲しみイコールあなたですか?
  • 憎しみイコールあなたですか?
  • 頭の中で考える仕事のこと、イコールあなたですか?
  • いつも考えている子供のこと、イコールあなたですか?

……etc(これ、永遠に続けられます)

やっぱり違いますよね。

怒りも悲しみも憎しみも喜びも、そして様々な考えも、空の中に流れていく雲や雨や風と同じように、ただ涌いては流れていく存在に過ぎません。
このように、本来の自分は空と同じように、そのどれにも影響されず、ただそこに存在しているのです。

そしてその、本来の自分の中で湧き起っては消えていくものから、通常私達が【これが私】と思い込んでいる自我、ヨガではアハンカーラと呼ばれるものが生まれてきます。

人間の体の成り立ち

本当の自分はあなた達が「自分」と思っているものとは違いますよ。と教えてくれたシヴァ。
次に、人間の出来上がり方を教えてくれています。

五大元素 パンチャートカムとは

ヨガでは、人間の身体も、宇宙も、この世の神羅万象は全て五大元素(パンチャートマカム)から成り立っていると考えられています。

(Ākāśa アーカーシャ)空間、音の元素
(Vāyu ヴァーユ)動き、触覚の元素
(Tejas テジャス)熱、形の元素
(Āpas アーパス)液体、味の元素
(Pṛthivī プリティヴィ)固体、香りの元素

これらの純粋な物質だけでは、様々なものを形作れません。
そこで、この5つの要素をいい具合の配合でブレンドする必要があります。

まず、5つの各元素が、それぞれ半分(1/2)に分けられます。
片方の1/2は、その元素の「本体」としてそのまま残されます。
もう片方の1/2は、さらに4等分(1/8)に分けられます。
そして、ある元素の「本体(1/2)」に、他の4つの元素から来た1/8ずつが混ざり合わさるのです。

つまり、メインとなる要素にその他の元素をどんな割合で混ぜるかで作られる形が変わるります。
(これをパンチーカラナと言います。)

肉体における五大元素の働き

では、人間の肉体ではこの五大元素はどのような役割をしているのでしょうか?

地 (Pṛthivī): 骨、筋肉、皮膚、髪といった固形の組織を構成します。
水 (Āpas): 血液、リンパ液、唾液といった体内の液体を構成します。
火 (Tejas): 体温、消化の火(代謝)、思考力や知性といった熱と変換のエネルギーを担います。
風 (Vāyu): 呼吸、心臓の鼓動、神経伝達、身体のあらゆる動きを司ります。
空 (Ākāśa): 口腔、鼻腔、消化管、細胞内などの空間や空洞を構成します。

このように私たちのからだは、五大元素が絶妙なバランスで混ざり合ってできた、小宇宙そのものだと考えられているのです。

3つのグナとは

グナとはサンスクリット語で性質のことを言います。

人間はこれら五大元素から形作られていて、そして3つのグナ(性質)の影響によって全ての行動がなされているとされているのです。

3つのグナ

ヨガでは、森羅万象、心の在り方まで、3つの性質(グナ)で動かされていると考えています。

サットヴァ・・・純粋性・調和
ラジャス・・・活動性・激情
タマス・・・不活性・無知

サットヴァ(純粋性)は澄んで落ち着いた状態を指します。

朝の澄んだ空気のようにクリアなイメージです。
例えば、

  • よく眠れて、気分が軽やかな朝
  • 本を読んで理解が深まったとき
  • 誰かに優しくできたとき など

「透明さ・調和・理解」をもたらします。

ラジャス(活動性)は動かしたり変えたりするエネルギーです。

火や風のように常に動き回る力を指します。
例えば、

  • やる気が出て、仕事を一気に片づける
  • 競争で「勝ちたい!」と熱くなる
  • SNSの通知が気になって落ち着かない

「推進力・情熱・落ち着きのなさ」を生みます。

タマス(不活性)は重く、停滞しているエネルギーです。

夜の暗闇のように、動きが止まるイメージでしょうか。
例えば、

  • 寝すぎて体がだるい
  • やらなきゃと思っても先延ばしにしてしまう
  • 誤解や偏見で物事を見誤る

タマスは「停滞・鈍さ・混乱」を生みます。

この3つは全ての人の心の中にあり、バランス次第で心の状況が変わります。
(※人間の体もこの3つのグナのバランスで状況が変わりますし、人間以外の全ての現象が3グナによって変化しています。)

一般的に普通の生活を送るにあたってはこの3つはどれも必要で、どれかが悪いと言うわけではありません。

  • サットヴァ → 学び理解に必要
  • ラジャス → 行動変化に必要
  • タマス → 休息眠りに必要

この3つのバランスが崩れる事が問題です。

ただ、ヨーガ・ビージャの話のように、この世の苦しみから完全に決別したいとなると、全てをサットヴァの性質にしていく必要があります。

kittyなな
kittyなな

一般の生活を送るのであっても、サットヴァな性質を増やしていけたら、生きやすくなりますよ♪

『私』という存在

このように、人間の身体は五つの要素と3つの性質からなっています。
そうして作られた【人間】は常に、苦しい・楽しい、不快・快適、悲しい・嬉しいなどにさらされ、その両極に引っ張られ、揺れ動いているものを『これが私だ』『これが自分というものだ』と勘違いを始めてしまいます。

本来、純粋で何にも影響されず、澄んでいたはずの【私】に、欲望・怒り・恐怖・不安・貪欲・迷妄・傲慢、そして病や苦しみに絡めとられた【勘違いの私】が覆いかぶさり、個人の存在(個我・ジーヴァ)となってしまうのです。

これ、女神の質問

どうして、純粋な本来の自分(真我・アートマン)が行為と結果の因果関係(カルマ)に覆われた有限の生き物になってしまうのでしょうか?

の答えですよね。

二極の中で振り回されているうちに、自分を見失ってすっかり勘違いしてしまうから。という事。

今、一般的に私たちが『私』と思っているものは盛大な勘違いなのだよ、とヨガは教えてくれているのです。

人間の存在を成り立たせる苦楽の構成要素

シヴァ神は人間を『勘違いの私』へ陥らせている構成要素も詳しく教えてくれています。

人間の生には、老いと死、無力感や悲しみが伴い、
眠りや飢えや渇きに支配され、
憎しみや恥じる心、喜びや苦しみ、落胆や歓喜翻弄される。

これらに翻弄されている間は、『勘違いの私』を『私』と思い続けるしかありません。

kittyなな
kittyなな

でも本当に、世界中のどこの方を見ても、人間はこの構成要素にそっていますよね。
大昔から普遍的だったんだなぁと感心してしまいます。

こうして私たちは目が覚めている時も、夢を見ながら寝ている時も、深い眠りについている時も、これらの構成要素に支配されています。
つまり、これらに囚われ続けている限り、絶対に勘違いの『私』から抜け出す事は出来ないのです。

けれども逆に、これらの構成要素に囚われなくなったら、そこには本来の本当の自分の姿があります。

知識と実践は車の両輪

ここでまた、シヴァ神は「知識だけでそれは達成できることは無い」と繰り返します。

著者が当時主流だった「知識だけで行けるぜ!」という考えを真っ向から否定したい思いが強く伝わってきますね。

いくら知識を持っていても、ヨガの実践が伴わなければ『本当の私』には出会えない。
また、いくらヨーガの実践を熱心に行っていても、知識がなければ『本当の私』には出会えない。

知識と実践は車の両輪である!!と熱く語っています。

でも確かに、今この記事を熱心に読んで下さっているあなたが(ありがとうございます!)、「本当の自分は両極の世界に翻弄されて見えなくなってしまっている。」という知識を得ただけで、本当の自分が見えたりしていませんよね?

そして同じように、巷で本当のヨガの事は何も知らず、フィットネス的にヨガを楽しんでいらっしゃる方も、本当の自分を発見したりはしていませんよね?

正しい知識を持った上で、しっかりと実践を重ねる事。
そのどちらが欠けても本当の自分探しの旅にゴールは訪れないのです。

ヨーガビージャ20節 原文&訳

20節
devy uvāca |
女神は問う

ajñānād eva saṃsāro jñāṇād eva vimucyate |
yogenaiṣāṃ tu kiṃ kāryaṃ me prasannagirā vada || 20 ||
迷いは無知から生まれ、解放は智慧によってのみ得られる。
ならばヨーガは一体、どのように人を助けるのだろう?
どうか優しい言葉で教えてください。

ヨーガビージャ20節 解説

苦しい・楽しい、不快・快等の両極にいつも振り回され、それを『本当の私』と勘違いするのは、正しい知識がない、イコール無知であるから。
それなら、正しい知識を手に入れ、無知でなくなれば両極に振り回されずに済むのではありませんか?
どうしてそれにヨーガが役立つのでしょうか?

と女神が聞いています。

シヴァ神があれだけ繰り返し繰り返し、『知識だけではダメだ!』と言っているのに、どうやら女神は納得出来ないようですね。

聞いてても何でか分からないから、もっと優しい言葉で教えて♪と頼んでいます。

おそらく、とても素直な性格の方だと、『ダメなんだよ!!』と何度も言われたら「そっかぁ。」と納得してしまうと思います。
若い頃は色々な方とご一緒にヨーガを学びましたが、実際全然分かってなくても「そっかぁ。」となる方がすごく多かったと記憶しています。

日本では分数の割り算をひっくり返すと習った時、どうしてひっくり返すのかを理解したいと思う子すらほぼいなく、分かってなくても「そっかぁ。」で進んでいきますよね。
そんな感じで進んでしまう習慣があるのだと思いますが、公式のある算数の計算とヨガ哲学の世界は違います。
「そっかぁ。」で流れていくと、結局全く理解できずに終わってしまったりします、汗

その点、この女神はよくご自分の頭を使いながら聞いているようです。
だからこそ、疑問が出てくるのですね。

さてさて、あれだけ『知識だけではダメ!』と熱く語っている理由を、シヴァ神はどんなふうに分かりやすく答えてくれるのでしょうか?

続きは次回…

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