「幸せになりたい」と願うとき、私たちはつい「いいこと」が起きるのを待ってしまいます。
でも、美味しいもの、大好きな人、仕事の成功……それらが手に入っても、なぜか不安が消えないことはありませんか?
今回は、ヨガのベースにある「無常(すべては変わる)」という視点から、私たちが無意識に作っている「偽物の幸せ」と、変化の中でも揺るがない「本当の幸せ」についてお話しします。

15年前に書いた文章ですが、今の時代にこそ必要な視点が詰まっていました。
いつの時代も、真理は変わらないですね☆
「美味しい物=幸せ」ではないという残酷な事実
幸せってなんだろう?
『幸せ』になる事を目的に発展して来たヨガですが、どうしてヨガをすると『幸せ』になれるのでしょうか?
「幸せって何?」と尋ねると、様々な答えが返ってくると思います。
- 美味しい物を食べる時
- 大好きな人と一緒にいる時
- 子供との時間
- 仕事で大きな成果をあげた時
色々浮かびます。
では、美味しい物=幸せ、なのでしょうか?
大好きな人、子供、仕事の成果が=幸せ、なのでしょうか?
美味しい物=幸せ、なのだとしたら、ただひたすらに美味しい物を食べ続けていれば永遠に幸せでいられますか?
食べれば食べる程、より幸せになっていきますか?
残念ながら、そうではありません。
実際は美味しく食べられるある一定の量を超えて食べ続けていたら、いくら美味しい物でも美味しさを感じなくなります。
さらに食べ続ければ苦痛にすらなってしまうでしょう。
量自体は適度だとしても、毎日同じ物を食べ続けていたら最初美味しいと喜んでいた物にも飽きて喜びを感じる事が無くなります。
体調が悪い時には食べる事すら拷問のように感じるかもしれません。
また、大好きな人が日々ひどい暴言や暴力を浴びせるようになったり、子供がグレて犯罪でも犯すようになったりしたらどうでしょうか?
幸せと感じていた日々から一転、苦しみや憎しみの原因になる事だってありえます。
お仕事での成果も、常に成果を出し続けていたら、それは最早成果でも何でもないただの日常です。
その事に特別な幸せを感じる事はなくなります。
もしくは「必ず成果をあげる人」というレッテルに苦しめられる事になるかもしれません。
結局、美味しい物も、大好きな人も、子供も、仕事も、どれもそれ自体が本当の幸せでは無いのです。
私たちの頭の中の「コンピューター」が勝手にジャッジしている
もう少し具体的に例を出してみましょう。
例えば、大舞台でスピーチをする役割に抜擢されたとします。
人前で話す事が好きな人にとっては、とても嬉しくてやる気に溢れます。
きっとウキウキと張り切ってしまいますね。
ところが、人前で話す事が苦手な人にとっては、プレッシャーで胃が痛くなったり眠れなくなったりしてしまうかもしれません。
「大舞台でスピーチ」
という出来事自体には何も違いが無いのに、それを受け取る一人一人が、自分のそれまでの人生経験を元にした頭の中のコンピューターでそれを幸せと受け取ったり、不幸と受け取ったりしています。
本来、美味しい物も、大好きな人も、子供もお仕事もスピーチも、それら一つ一つの物事自体は幸せでも不幸でもありません。
ただの現象であり、ただの出来事であり、ただの物であり、ただの人間です。
それなのに、自分の小さな頭の中でいちいち「良い」「悪い」「好き」「嫌い」とジャッジをつけていく事で、物事をありのままに受け止める事が出来ず、本当の幸せが見えなくなってしまいます。
- 絶対入りたいと思って頑張っていた大学入試に失敗して「不幸のどん底だ」と思ったけれど、滑り止めで入った大学で一生ものの学びを得て結果とても幸せだった。
- 運命の相手と思っていた人にフラれて「人生が終わった」と泣き暮らしていたけれど、次にもっと素敵な人と出会って「あの時あの人にフラれてい て良かった!」と心から思った。
このような出来事は誰にでも良く起こります。
結局その時々で下している「良い」「悪い」「幸せ」「不幸せ」という判断も絶対的なものでは無く、状況によってどうとでもなる、偽物の良いであり、偽物の幸せなのです。
「無常」の世の中で、私たちは何に苦しんでいるのか
では、本当の幸せは一体どこにあるのでしょうか?
それを知るにはまず、幸せでは無い状態、そして偽物の幸せについて知る必要があります。
ヨガのベースになる考え方に、無常、この世に変わらないものは何もない、と言うものがあります。
逆に言うと、この世の中の全てのものが常に変化を続けていると言う事になります。
私達の感情はコロコロと変わります。
喜んだり悲しんだり、怒ったり楽しんだり、考える内容もあっちへこっちへとクルクルクルクル大忙しです。
そして私達の肉体も常に変わり続けています。
昨日と今日で別に何も変わっていないと感じるかもしれません。
けれど、10年前と今とでは誰しも確実な変化が出ていると思います。
それは、どこかのタイミングで一気に何かが変わったのでは無く、自分自身では気付かない程小さな変化を常に続けていた結果です。
人間の細胞は約5〜7年で全て入れ替わると言われており、7年前と今とでは体そのものが別のものになっているのです。
見た目だけではなく、調子も変化し続けます。
病気になったり、すごく元気だったり、病気ではなくてもなんか重だるかったり。
誰しも経験がある事でしょう。
そうは言っても物質は変わらないだろう、と思われるかもしれません。
でも、どんな物でも何十年、何百年とそのまま置いておいたら、だんだん崩れて最後は消えます。
これも、私達には見えないくらいの小さな変化が常に起こっている証拠です。
このように変化が常の世の中で、ある一定の物だけを好み、固執する事で苦しみが生まれます。
そして片方を好み、片方に固執をすると、逆の事に対する拒否が生まれます。
この、変化の一部分だけを切り取って感じる幸せを偽物の幸せ、そして、この変化に振り回される事を不幸せとヨガでは考えています。
世の中には、雨が降っただけでイライラする人もいます。
でも、雨=悪なのでしょうか?
干ばつでいつも水が不足している地では雨が降ったら大喜びです。
それはやはり雨もただの現象であり、それ自体に良し悪しがあるわけではないからです。
それなのに、雨が降らない状態という変化の中のある一部分だけを好むから、雨の時を苦痛に感じます。
女性の場合は自分自身も常に変化をしていて当たり前だと言うのに、その変化の中の一部分である若さに固執したり、痩せているという状態に固執したり、美しさという曖昧なものに固執するから、老化したり、体型や容姿の変化を嘆いたりします。
さらに結婚しているしていない、子供がいるいない、良い暮らしをしているいない、などなど、女性にとってデリケートな問題は色々ありますが、それらも全て、永遠ではなく変化の中の一時期の事に過ぎません。
それなのについつい片方に固執して、もう片方を拒否しがちな事がたくさんあると思います。
このように私達は変化の一部を切り取って執着する事で自分自身をどんどん不自由にしています。
偽物の幸せにしがみつく事で、同時に不幸せを手にしているのです。
人生はジェットコースター。下る恐怖も楽しめますか?
本来のヨガはこうした世の中の変化をこえる事を目的にしています。
幸せはこの変化の中の一部を指すものでは無くて、変化の外にあるのです。
この無常の世の中で、唯一常にそこにあって変わらないものに触れられるように、変化に振り回されるのではなく、変化の中でもブレる事の無い強い自分自身を育んで行くものがヨガです。
ジェットコースターを好んで、本当に楽しめる人は、コースターが空高く上がっていくドキドキ感も、そして真っ逆さまに落ちていく恐怖も同等に味わい、そして同等に楽しめる人です。
上って行くのは楽しめるけれど、下る恐怖は受け入れられない。
下る恐怖はスリリングで好きだけど、上るのは退屈で早く終われと思っている。
こんな人は、一部楽しいと感じる事はあってもジェットコースターそのもの全てを楽しむには至っていません。
ましてや、そもそもジェットコースターが紆余曲折あるものだという事を受け入れられず、まっすぐユックリ進んで行く幻想を望む人にとってはジェットコースターなんて苦痛以外の何物でもないでしょう。
ジェットコースターを楽しもうと思ったら、ジェットコースターのその全てを受け入れ、安心して冷静に身を委ねていないと、本当の意味で楽しむ事は出来ないのです。
人の人生も同じです。
変化をこえていかない限り、本当の幸せには出会えません。
「私は変わった」と思っているうちは、まだ変わっていない
よく「ヨガを初めて変わった〜」などの表現をされる事がありますが、ヨガは何かを変えるようなものではありません。
- 穏やかになった
- ポジティブになった
- 肩こり腰痛が改善した
- 体が柔らかくなった などなど
色んな変化を実感する事があるでしょう。
これら一見良さそうな事であったとしても、それもただの変化の中の一箇所にすぎません。
この無常の世の中ではそのうちそれすら変化をしていきます。
そして、いつかそれがただの変化の一部でしかなく、その実、大した変化をしていない事に気付くと思います。
「私は変わった」などと思っているうちは、根本的には何も変わっていないのです。
晴れてる時は晴れを味わい、晴れを楽しむ。
誰かといる時は相手との時間を慈しみ味わい、誰かと共有する時間を楽しむ。
ひとりぼっちの時は自分自身を味わい、ひとりぼっちの贅沢を楽しむ。
お金持ちの時はその状態を味わい、楽しむ。
貧乏な時もその状態を味わい、楽しむ。
仕事で成功したら自惚れるのではなく、受け止め楽しむ。
何かで大きな失敗をしたら、その貴重な経験を味わい、楽しむ。
若い時は、その若い時代を楽しみ、年老いたらその時しかないその時代を楽しむ。
元気な時はその元気を楽しみ、病気の時は病気を味わい楽しむ。
どの瞬間も、その瞬間はその時その一瞬しか無いのです。
ちっぽけな自分の過去の経験によって、良い、悪いと不確かな判断をして、何かを拒絶し自分を苦しめていたらもったいない。
自分自身に起こる全ての出来事をただ出来事として受け止め、味わい、楽しめたら、人生そのもの、生きている事自体が本当に幸せと感じられる事でしょう。
さまざまなヨガの流派、行法、私達がよく目にするあのポーズの数々も、全てそんな『いつも満ち足りている幸せ』な日々に繋がって行く為のものなのです。
15年後の私より
この記事を書いた15年前、この後の私の人生がFUJIYAMA並みのジェットコースターっぷりになっていく事などつゆ知らずでした。
息子は困難児、そして身近にいるのは怒りと破壊の化身のような人。
どちらもとてつもなく才能豊かで魅力的な人ですが、そばにいるのは大変の連続です。
そんな中でもいつも「とても幸せそうな人」と周りの方から言って頂けるのは、15年前には既にこのヨガの思考が身になっていたからです。
大変=悪い と思ってしまうのは、勝手な思い込み!
それを知っているだけで、見る景色が変わってきますよ。

笑顔で人生と言う名のサーフィンを楽しみたいですね♪


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