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ヨガでピンチに強い人になる秘訣

海辺で穏やかな気持ちで佇むヨガ行者 ヨガ哲学×生活

「accept(アクセプト)」

インドのヨガの大先生はその昔、ことある毎にそう言っていました。
生徒が悩み苦しんでいる時、困難から目を背けている時、自分自身から逃げ出そうとしている時

「accept(アクセプト)」
いつもそう声をかけていました。

それは、皆一人ひとりが自分の問題を乗り越える力を持っているのを知っていて、その為の第一歩がacceptだからです。

受け入れる

【accept】を日本語に直すと、【受け入れる・認める・承認する】です。

この言葉には、ココロを健康に保ち、どんな時にも前向きに生きていく秘密が隠されています。
何故なら、人が何かに悩み苦しむ時はいつでも、その事実を受け入れられていないからです。

受け入れないってどうゆうこと?

人がココロに苦しみを抱えている時、それは、その物事を受け入れられていないということです。

例えばとても太っていたとします。
本来健康であれば、太っていても全く問題ないわけです。

それなのに、太っている自分を自分の中で拒否していているから、それを嫌だと感じ、ネガティブな感情が沸き上がります。
そこに大きな葛藤と苦しみが生まれます。

もし、心から太っている自分を受け入れていたら、そこに葛藤は生まれません。
だから太っていても全く問題はありあせん。

太っている明るくて楽しい子、太っている優しい子、太っている機敏で面白い子など
苦しんだり自分を卑下することなく、笑顔で暮らせるわけです。

受け入れている中でなら、痩せたいと思った時は、前向きに痩せる努力をすれば良いだけです。

そもそも、太ってる自分を受け入れられていないからこそ、その自分の姿に苦しみ、痩せる努力も苦しく、努力が実らない時はもっと苦しくなります。

受験に失敗した、就職が上手くいかなかった、会社を首になった、等も、その事実を受け入れられないと苦しみます。
その現実を否定して、拒否して、受け入れられない期間が長引けば長引くほど、暗い時間も長引きます。

たまに一度の受験の失敗が大人になっても大きく尾を引いているような方もいらっしゃいますが、ずっと現実を受け入れられていない状態です。

受け入れたら前に進める

このaccept=受け入れること、を理解していると、自分自身のココロの扱いがずっと楽になります。

まず、何かココロに大きな苦しみが生まれた時、自分が受け入れられず拒絶していることがわかります。
物事によっては拒否している自覚が出たら、それだけで受け入れられることもあると思います。
受け入れられたら、そこから前に進めます。

先ほどの例で考えてみましょう。
受験に失敗した時、志望していない学校であったとしても、ご縁のあった学校で充実して楽しい経験が出来た方も多いはずです。
なんとか就職できた会社は不本意でも、仕事にやりがいを感じて成長している方もたくさんいます。

起こったことを受け入れられたら、しっかりと前に進めるのです。
そうすると新たな素敵な経験につながります。

その逆に、きちんと事実を受け入れていなかったら、どれだけ行動だけを前に進めていても、なかなか幸せは感じられません。
「こんな学校行きたくなかった」と思い続けながら通う学校、嫌だ辞めたいと思いながら取り組む仕事、そこから生まれる世界は楽しくないでしょう。
まさに、自分自身を不のスパイラルに陥れるようなものです。

学校が悪いわけでも、仕事が悪いわけでもありません。
問題は、受け入れられない自分自身のココロの方にあります

そして物事によっては、一度受け入れようとしてみても、悩み苦しみが減らない事もあると思います。
そうゆう時はいったん落ち着いて、いったい何を拒絶しているのかをじっくり自分を観察してみます。

もしかしたら、今受け入れられずにいるその問題は、今すぐには受け入れられなかもしれません。

でも、受け入れることから全てが始まる事を知っていれば、長い間否定し続けて自分をわざわざ不幸にする選択はしなくなります。

真実を見る

ヨガの大切な教えの一つにサティアというものがあります。
これは日本語では「真実」と訳され、多くは嘘をつかないことと解釈されています。
もちろん、真実において嘘をつかない事は大切です。
他者にも、そして自分自身にもです。

けれどもう一つ、真実で大切なことは、真実を真実としてありのままに受け止めることでもあります。
起きた出来事に対して拒絶をして、葛藤している状態は事実を大きく湾曲しているのと同じです。

先ほどの例を取りますと、受験に失敗したのを受け入れられず、落とした学校が悪い、私がこんな人生を歩むなんて何かの間違いだ、その学校に行ってる人が憎たらしい、などなど、他人のせい、周りのせいにしている事は真実とはかけ離れた認識です。

真実に生きることは、嘘をつかないのと同様に、真実を認識することも大切なのです。

受け入れる事を知ったら

ヨガの哲学が身につく前の私は、とてもキャーキャーしたタイプの女の子でした。
何かちょっと事件が起こると、キャーキャーキャーキャー。
嫌な事があるとキャーキャーキャーキャー。
どの学年にもウザいタイプの女子っていたと思いますけど、まさにあれ。

自分で何かを解決しようなんて考えは皆無。
いつだって「誰かなんとかしてーー」状態でした。
そして、若かったからか何だかよく分かりませんが、結果いつも何とかしてもらっていた気がします。

それが、ヨガの哲学を知り、その後実感として理解出来るようになってからは、大きなトラブルが起こってもキャーキャーしなくなりました。
キャーキャーしないどころか、かなり落ち着いていられます。

誰かに何とかしてもらおう、と言う他力本願な気持ちは全くおきなくなりました。

それよりも、自分自身で問題と向き合いたいのです。
「では、どうすれば良いか?」とトラブルの際もワクワクと前向きに考えられます。

ここ最近我が身に起こったことで、私がほとんど動揺せずに受け入れられたこと

  1. 息子が大変育てるのが難しい、非定型凸凹児である事
  2. 我が家を破産の危機に落とし込む事件が起こった事

このどちらも、直面した時に狼狽する方が多い事例だと思います。
でも、実際に直面しても、ほぼココロの葛藤無しにスムーズに受け入れています。

それは、変えられない事実に対して、抵抗して苦しんでいる時間がよほどもったいない事をヨガの哲学を通して実感として知っているからです。
どちらの問題も現在進行中で特に何の改善もしていません。

ですが、拒否をして嘆き悲しんだり、否定して誰かのせいにしたり、現実逃避をしていない分、より早く冷静にその問題に対してどうしたら良いかを考えられています。

受け入れられない自分を自覚する

そんな私ですが、まだまだ受け入れが難しく、起ると逐一ココロが抵抗することもあります。

非定型息子の問題行動

息子が人様にご迷惑をおかけするような問題行動を起こした時、私のココロは大きく拒絶反応を起こして葛藤します。
ただ、大きく激動するココロを感じた時に「事実を受け入れることを拒否しているな」と冷静に見る目は養われています。

その為、大きく感情が動きはしますが、恐らく一般よりココロの持ち直しは早く行われていると思います。
少なくとも、大昔の自分だったら考えられないほど自分自身が感情に飲み込まれることはありません。

もちろんそれは、息子の問題行動に開き治るのとは違います。

私がその事実に目を瞑って見ないふりをしようが、拒否しようが、息子が人様にご迷惑をおかけした事実は変わらないのです。
瞬時に受け入れられなかったとしても、受け入れられていない自分を認識する事が大切です。

すると、問題を見て見ぬふりをする、逃げる自分で良いのか?変わらない事を拒み続けて時間の無駄をしていいのか?自問自答が出来ます。
私の場合、ヨガの哲学に生きようとしている身なので、逃げる自分、真実を捻じ曲げるような自分ではありたくないとの思いがすぐに浮かびます。
そして、すぐさま「息子、やってしまった」という事実を受け入れられるようになります。

そこで初めて落ち着いて、息子がどの程度の事をしでかしたのか、相手方にはどのような対応が必要かを考える事が出来ます。

これがずっと拒否をしたままだったら、相手方に対する対応を冷静に考える事も出来ませんし、息子に対する指導もただ感情に任せるだけのものになってしまうでしょう。

私が息子を産んでいる以上、どんなに辛くても悲しくてもやるせなくても、問題を起こす子の親という立場から逃げるわけにはいきません。
開き直って現実を湾曲するわけにもいきません。

全ての始まりは、まず受け入れることから始まります。

ヨガの練習で受け入れる練習をする

日々のヨガの練習から「受け入れる」ことを学ぶことが出来ます。

ヨガのポーズ(アーサナ)を行う時は、その瞬間の自分自身の状況をしっかりと認識し、受け入れることが大切です。

  • 上手にポーズ(アーサナ)が出来ない自分
  • 全く集中出来なくて落ち着かない自分
  • カラダが硬すぎて何も出来ない自分
  • 人と比べてばかりの自分
  • バランスが全くとれない自分

まず、そんな理想とは違う自分自身のありのままを受け入れることから始まります。
ありのままの自分を否定せず受け入れることから、正しいヨガの練習は始まるのです。

これは本当にそうです。

私は今まで数百人もの生徒さんと一緒にヨガの時間を過ごして来ました。
自分自身の状態をしっかりと受け入れられる方とそうでない方では、その後のヨガの進み具合に大きな差が出ます。
それは自分自身の実体験による実感と共に、たくさんの方々のヨガを見てきて痛感していることです。

ヨガの練習を行うことは、ありのままの自分を受け入れる練習でもあります。
これを知っているのと知らないのでは、ヨガの練習の深みも大きく代わるのです。

まとめ

人生は時として、思いもよらないことが起こるものです。
悲しみや苦しみに打ちひしがれることもあるでしょう。

そんな時、そのピンチに振り回されるか、凛と立って切り抜けられるかはその人のココロ次第。
それならいつも切り抜けられるココロでいられたらいいですね。

ヨガを通してそんなココロが育っていきますように。

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