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「私は誰か?」ヨガの難解な問いは、iPhoneの「機種変」を考えると全てすっきり解決する話

ヨガ哲学

ヨガとは何か?と言う話になると必ず出るのが

Who am I?
私は誰か?

と言う問である。

ヨガは心の止滅だとか、二元性の克服だとか、個人と全体性の合一だとか、なんだかんだと色々な表現があるけれど、結局はWho am I?なのである。

私は誰なのか?を知る事。
自分探しの旅。

 

「あなたは誰ですか?」そんな風に聞かれたら何と答えますか?

私は田中真美子です。
小児科医をしていて、2児の母です。
趣味は登山で好きな食べ物はみたらし団子です。
休日は子供たちと一緒にお菓子作りを楽しんでいます。
                          (架空の人物)

恐らく、誰が答えても大差ないであろう。

・名前
・職業、立場
・趣味、好きな事や食べ物
・よくやる事や休日の過ごし方

等など、肉付けの仕方は人それぞれだが、ベースはほとんど変わらない。

鈴木から田中へ。名前も職業も、あなたを表す「ただのラベル」

けれどそれは、本当にその人なのだろうか?

例えば先ほどの架空の人物、田中真美子さん。
この人は田中真美子と言う名前でなかったらこの人では無いのだろうか?

否、そんな事はない。

だって、結婚前には田中真美子ではなく、鈴木真美子だったかもしれない。

名前そのものがその人物だと言うのなら、鈴木真美子だった時と田中真美子だった時とでは全くの別人と言う事になってしまう。

もしそうであるなら、結婚して苗字が変わると即ち別人に入れ替わってしまうことになる。
そんなの恐ろしくて、誰も結婚など出来なくなるのではないか?

ようするに、鈴木だろうが田中だろうが、この人はこの人である。
だからこそ、「結婚後の苗字変更手続きが面倒だ…」とかなんだとか、ウキウキと愚痴りまくるのである。
名前が変わっても何も変わらないから。

結局、名前なんてただのラベルで、その人自身とは無関係のもの。

 

では、この人が小児科医でなかったら、子供を二人産んでいなかったら、この人はこの人ではないのであろうか?

否、そんな事はない。

だって、人生の中で、小児科医ではなく研修医だった時代もあろうし、学生だった時代もあるであろう。
そしてこの先医師をやめて和菓子屋さんに転職する事もあるかもしれない。
子供がいない時代も子供が一人だった時代も確実に通過していて、この先三人以上に増える事だってあるかもしれない。

それでも、そのどの時代でも、この人はこの人なのだ。

趣味だって好きな事だって、休日の過ごし方だって、時と場合によっていくらでも変化するものである。
何一つ変わらないものはなく、そのどれを取ったところで、その人自身を表す言葉にはなり得ない。

 

とすると、私って誰なのだろう??

鈴木から田中へ。名前も職業も、あなたを表す「ただのラベル」

ヨガではよく、自分に対してこの問い重ねることを玉ねぎを剥く作業に例える。

・名前=私なのか?
・出身校=私なのか?
・仕事=私なのか?
・好きな趣味=私なのか?
・嫌いなこと=私なのか?
・男or女=私なのか?
・この肉体=私なのか?
・腕=私なのか?  (腕が無くなったら私ではない?)
・足=私なのか?  (足が無くなったら私ではない?)
・臓器=私なのか? (臓器移植をしたら私ではない?)
・感情=私なのか?
・怒っている=私なのか?
・喜んでいる=私なのか?
・記憶=私なのか? (記憶喪失になったら私ではない?)

こうやって、玉ねぎを一枚一枚剥いていくように、私が日頃「私」と勘違いしているものを一つ一つはぎ取っていく。

すると何が残るのだろう?

 

玉ねぎを剥ききった先にあるものは、何?

それは人間が「私」と自分自身や他人にレッテルを張り続けているものをはぎ取り続けた先にあるものと同じだろうか??

もしもiPhone13proが「痛い!」と叫んだら?

私は、この「私は誰か?」「これは私か?」の問を自分に向けるのが大好きである。
一般的に見ると妙ちくりんだろうが、とても楽しい。

そして先日、この楽しい問の最中に、これはとてつもなくiPhoneに似ている話だと感じてしまった。

iphoneの本当の姿って何だと思いますか?

私の今のiPhoneは13pro。
ある日私がこのiPhoneを落としたとして、その時この子が突然こんな事を言い出したとする。

「ちょっと痛い!私の体を傷つけないで!!」

どうやら、この子はこのiPhone13proという物体を自分の肉体だと思っているようだ。

その日から、少しでも荒く置くと「痛い!痛い!」と叫ばれ、落として傷をつけようものなら苦痛で嘆く悲しむようになった。

 

でも、私は何か違和感が…。

 

この子は私が13proを使う前はiPhone8に入っていた。
その前はiPhone5。

そしてなんだか動作が不安定な昨今、新しいiPhoneに変えようかとも思っている。
そしたら、その新しい物体の中にこの子はスルッと入っていくであろう。

この13proと言う物体がiPhoneだと言うのなら、8だった時代や5だった時代、新機種にした後はiPhoneじゃないのか??

なんだか、この方はいつも嫌がることも無く、とてもスムーズに移行されているように見受けられるけど。

とすると、肉体(物体)に執着したら「痛い」「苦しい」と騒ぎ出すけれど、それはただ自分を入れている仮の器とさえ思っていれば、データの移行にも苦痛は無いし、そもそもそんな物体部分は本物のiPhoneではなさそうだ。

アプリを全削除し、本体も消去したとき、最後に残る「本当の姿」

では、中身のデータがiPhoneなのだろうか?

これもまた、あれこれと入れ替わる。

LINEアプリがiPhoneなのか?
スケジュールアプリがiPhoneなのか?
Paypay機能が、Suica機能がiPhoneなのか?
はたまた、メール機能がiPhoneなのか?
検索機能がiPhoneなのか?
電話機能がiPhoneなのか?
カメラがiPhoneなのか?

実際問題、その、どの機能が無くなったところでiPhoneはiPhoneである。

iPhoneと言うくらいだから、一番最初の一番重要機能は電話であろう。
電話が無くなったらさすがにiPhoneではないのでは?とか、これら全てが合わさったものがiPhoneだ、とか、色々反論もありそうである。

でも、そのあなたの頭に浮かんだ反論も、「いや、まて、本当にそうだろうか?」と考えてみて欲しい。

アプリを一つずつ削除していくところを想像してみよう。

一つ削除してみて考える。

これはiPhoneか?

もう一つ削除してみて考える。

これはiPhoneか?

さらにもう一つ削除してみて考える。

これはiPhoneか?

 

 

どこまで削除したらiPhoneでなくなるのであろうか?

 

全部削除したら、それはもうiPhoneではないのか?

 

物体だけ残っていたら、iPhoneだと思うか?
とすると、この物体がiPhoneなのか…?

気付いた方もいらっしゃることでしょう。

iPhoneのくだりの最初に戻った事に。

この物体の部分て本当にiPhoneでしたっけ??

さぁ、アプリも全部削除して、物体部分もiPhoneでないとするなら、iPhoneの本当の姿は何でしょう?

 

最初に、これは私なのか?と問い続けていた先にあるもの、そしてiPhoneの本当の姿の先にあるもの…

 

あれ…?

 

Who am I?を考えるのは私にとって至高の楽しみ。
あなたは、自分とは何か、本当の意味で考えた事がありますか?

考えたくなった方、真のヨガの世界へようこそ

 

kittyなな
kittyなな

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