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『ヨーガ・ビージャ』日本語訳:第9回|「知識」だけあっても生まれ変わる?シヴァ神の辛口な本音と、ダイエットで紐解くヨーガの実践

シヴァに女神が教えを乞う、ヨーガ・ビージャ翻訳 Yoga Bija
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幻のヨガの書、ヨーガ・ビージャの日本語訳&解説を一般向けに初公開しております。
(こちらから原文を読んでいます↓)
詳細はこちら

前回、ヨーガの神様であるシヴァ神の話に
「生きている時に真理を悟ったものは、死んだ後はどのような状態になるのですか?」と女神が問いかけて終わりました。

いったいヨーガの神様の話は何と続くのでしょうか?

The YogaBijam

 

ヨーガ・ビージャ62節~66節 原文&翻訳

62節
īśvara uvāca |
シヴァ神は語った。

dehānte jñānibhiḥ puṇyāt pāpāc ca phalam āpyate |
yādṛśaṃ tu bhavet tatra bhuktvā jñānī punar bhavet || 62 ||
たとえ真理を知った者であっても、肉体を離れた後には、過去の善悪の行為による残された果報を経験することがある。
しかし、その果報をすべて経験し終えた後、智者は再び本来の状態へと至るのである。

63節
puṇyāt puṇyena labhate siddhena saha saṅgatim |
tataḥ siddhasya kṛpayā yogī bhavati nānyathā || 63 ||
積み重ねられた善き行いによって、人は真の成就者と出会う。
そしてその成就者の慈悲と導きによってこそ、真のヨーギーとなるのである。
それ以外の道はない。

64節
tato naśyati saṃsāro nānyathā śivabhāṣitam || 64 ||
そのようにしてこそ輪廻の束縛は終わる。
他に道はない。
これはシヴァ自身の断言である。

65節
mahāviṣṇumaheśānāṃ pralayeṣv api yoginām |
nāsti pāto layasthānāṃ mahātattve vivartinām || 65 ||
たとえ大ヴィシュヌやシヴァの世界さえ宇宙解消によって消滅するときであっても、
大原理(マハータットヴァ)に安住したヨーギーは決して失われることがない。

66節
vedāntatarkoktibhir āgamaiś ca nānāvidhaiḥ śāstrakadambakaiś ca |
dhyānādibhiḥ satkaraṇair na gamyaṃ cintāmaṇiṃ tv ekaguruṃ vihāya || 66 |
ヴェーダーンタを学んでも、
論理を極めても、
数多の経典を読んでも、
瞑想や修行を重ねても、
真の師との結びつきを欠いたなら、
究極の宝である悟りには到達できない。

ヨーガ・ビージャ62節~66節 解説

頭で分かっていても「やり直し」?シヴァ神が語る、智者たちのまさかの来世

ここで書かれている内容を、もう、めちゃくちゃざっくりと説明してしまうとこうなります。

例え、真理を知った者でも、自身が行った行為の因果は発生する。

その為、その結果を全部受ける為に、死んでも普通に生まれ変わってしまう。

とは言え、真理を知った人は、その目線(知性)のおかげで、基本的には他者を傷つけない『善き行い』を積み重ねて生きていくことになります。。
その行為の結果として、生まれ変わった後にヨーガのゴールに達した指導者に出会う事が出来る。

その人の導きによって、真理を知った者も次の生ではヨーガのゴールに達する事が出来、輪廻転生から解放されることになる。そうなれば、もう二度と死ぬことも何かが損なわれる事もなくなる。

と言う、内容です。

大前提として、インドは輪廻転生の考えが基本です。
その為、ヨーガのお話は全て輪廻転生がベースになっています。
そして、いわゆる“悟り”解脱“ヨーガのゴール”などと表現されるそれは全て、輪廻転生からの離脱を意味します。

今回、女神の「真理を知った者は死後どうなるか?」と言う問いに対して、
「真理を知ってる人も普通に生まれ変わるよ」と答えるシヴァ神。

以前、ヨーガの世界では

  • ヨーガのゴールに達した人
  • ヨーガのゴールに達していない人

の2種類しかなく、全くヨーガを知らない一般の人も、頭で真理を知っている智者も、同じ「ヨーガのゴールに達していない人」のくくりになると説明しました。

真理を知った者は、一般の人から見たら「そこそこヨーガのゴールに達している人」ではありますが、「ヨーガのゴールに達した人」ではないので普通に輪廻転生はします。

しますが、それはさすがに全く何も知らない人との違いはあるようです。

kittyなな
kittyなな

「そこそこ達している人」は、次の人生ではヨーガのゴールに達せられるのですって。

完璧な「ダイエット知識」があっても痩せられないのはなぜ?〜知識と実践の分厚い壁〜

とにかくひたすら、「真理を知っていればいいでしょ?」と言う女神に対して、「知っているだけじゃダメなんだよ」と言うシヴァ神の攻防戦が続きます。

でも、ふと考えてみると、知っているだけではダメって至極もっともな話です。

例えば、ダイエット。

美しい体型を手に入れる唯一無二の本当の方法って、皆さんご存じだと思います。

太るのは摂取カロリーが消費カロリーより多いから。
その為、痩せる為には摂取カロリーより消費カロリーを多くする必要がある。それは、ただ単に摂取カロリーを抑えれば良いと言う単純な話ではない。
体を健やかに保つために必要な栄養素を適切に摂取し、必要な運動をしなければならない。

ざっくりと言えばこんな感じです。

ここにさらに、どんな栄養素が必要で、どんな食べ物が体に良く、どんな食べ物が体に悪いか。
運動には有酸素運動と無酸素運動があってそれぞれどんな役目があるのか。
その他、正しい知識は多岐に渡ります。

現代の日本ではこれらの知識ってある程度一般的で、知っている人が多いでしょう。

けれど、その知識をフル活用して実践し、美しい体型を手に入れている方ってどれくらいいると思いますか…?

体型だけ保てていても、実は不健康と言う場合は除くとして、です。

そうすると、そんなに多くないと思います。

人間には、食べ物に対する欲があり、甘い物や油に対する欲があり、それに対する渇望があり、外の世界は誘惑ばかりです。
水は低きに流れるが如く、適切な運動よりもダラダラを好みますし、そもそも人間なんてちょうどいい塩梅を見つけるのが難しい生き物です。

いくら完璧な知識があったって、それを実践しつくせるのとは話が別なのです。

なぜなら、私たちの脳や肉体(感覚器官)は、太古の昔から「ラクをしたい」「甘いものを食べたい」という本能のプログラムで動いているから。頭の知識(理性の薄皮一枚)だけで、この強大な肉体のプログラムに打ち勝つのは、そもそも構造的に無理があるのです。

 

仮に、体型の変化に対する知識が全くない世界があったと考えてみましょう。
太っている人も痩せている人もいるし、同じ人でも太ったり痩せたりもします。

でもその世界の人は、何故そのように体型の違いや変化があるのかは全く分かっていないのです。
食べ物が影響しているとも、どれだけ動いているかが関係しているとも想像だにしない。

だから「なんでこんなに私の体は膨らむのか?」と思いながらバクバク食べたり、
「痩せすぎの体をふくよかにする為に神に祈ろう!」と断食してひたすら神頼みをしたり。
メカニズムを理解している人から見たら、おかしな行動ばかりとっています。

そんな中、一人だけ食べ物や運動量と体型の関係に隠された真実を知っている人がいるとします。
その人は知っているのだから、ある程度はそれに則した生活をするでしょうし、無知ゆえに頓珍漢な行動をとっている人よりはずっと理想の体型に近づける事も出来るでしょう。
知らない人達の中では、それだけでも英雄のようで「知識を持っている完璧な人!」となると思います。

けれど、やっぱり知識を持っているだけではイコール完璧に行動が伴うと言うものではありません。
この人だって不摂生や自堕落に陥るものなのです。

ただ、このメカニズムを今世で知って理解出来た人はもれなく、来世では完璧に実践できるように導いてくれる師に出会えるよって言うイメージでしょうか?

少しは伝わるといいのですけれど。

ヨーガの知識を持っている私が、今もただの「平凡な人間」として消耗している理由

現に私、日本ではある程度ヨーガの哲学的知識を持って、かつ理解している人の末端の一人ではあると思うのです。
それは、かれこれ十数年前、インド人の大先生に「知識はもう十分持っていて、しっかりと理解している」と言って頂き、長い間色々なヨガスタジオでレッスンを担当し、たくさんのヨガインストラクターの方々と話をしてきた経験からも、感じます。
うぬぼれとかではなく、事実として。

でも、でもです。

では、

ヨガで言うところの、真理をある程度知っている私が、何か他の人と比べてすごい事があるのか??

と聞かれたら、正直

kittyなな
kittyなな

別に何も。みんなと何も変わらないし、ともすれば人より酷い部分もあると思う。

と答えます。
本心として。

確かに、比較の問題として、平均的な方より物事を受け入れるキャパシティーは大きい気もします。
怒りや悩みの感情の発生率も圧倒的に少ない気もします。

でも、その程度の話であって、ごくごく平凡な、子供や家族や人間関係に思考を奪われ、日々の生活に消耗されていくだけの、ただの何でもない人に他なりません。

だから本当に正直な話、このヨーガ・ビージャを読み始めてからずっと、私個人は

kittyなな
kittyなな

なんで女神はいつまでも「智慧だけあればいいでしょ?」「智慧だけあれば完璧でしょ?」って言い続けているのだろう??

と疑問でしかなく、もどかしくも思っています。
逆に聞きたいくらい。

智慧だけで、何がどう変わると言うの?と。

ヨーガ・ビージャ67節 原文&翻訳

67節
devy uvāca
女神は問うた。

jñānād eva hi mokṣaṃ tu vadanti jñāninaḥ sadā |
na kathaṃ sidhyati tato yogo ‘sau mokṣado bhavet || 67 ||
多くの智者は、“解放は智慧によってのみ得られる”と説きます。
だとしたら、あなたがここで語っているヨーガは、どういう意味で解脱への道となるのでしょうか?

ヨーガ・ビージャ67節 解説

それでも女神は繰り返します。

多くの智者が「解放は智慧によってのみ得られる」と説くのに、何故それじゃだめなの?
ヨーガは何の役にたつの?」と。

私、先ほどボヤキましたが、これを見て、そうだよね、と思いました。

シヴァ神のセリフの解説をザックリとだけして省いていましたが、前の66節にこうありました。

ヴェーダーンタを学んでも、
論理を極めても、
数多の経典を読んでも、
瞑想や修行を重ねても、
真の師との結びつきを欠いたなら、
究極の宝である悟りには到達できない。

これ、当時にしてはとても強烈な一文なのです。

なぜなら、この時代に「この知識を得、真の理解をしたら解放される」とされていた伝統的な経典や手法をほぼほぼ並べて、かつそれだけではダメだと否定しているからです。

このヨーガ・ビージャが編纂されたのは14世紀頃ですが、ウパニシャッドの考えの始まりは既に紀元前800年頃には見られるものです。
そんな時代からずーーっと、正しいとされ、推奨されてきた方法を14世紀になって突然否定されているわけです。

21世紀の目線から見ている私と、14世紀の目線で見ている女神とに温度差があって当たり前ですね。
女神にとってはそれまでの「常識」を覆されていると言うわけですから。

私も随分迂闊な感情を持ったものです。

この、女神の掲げる今までの「常識」をシヴァ神はどう覆していくのでしょうか?

続きは次回…♪

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